私はいま、学生会館地下二階の隅っこで慌ててこのコメントを生成しようとしている。持参したパソコンの周りにはたくさんの荷物が無造作に散らばっていて、少し離れたところからは聞き覚えのある話し声がぽつりぽつりと聞こえてくる。ぶたびとしての活動はとっくに終わっているのだけれど、ごく自然にその場に残って話し続けている。普段はみんなバラバラで活動しているのに、こうして傍から見ているとたしかにその輪の中で居心地のよい空気が流れているのだ。
現状報告で字数を埋めていたら、ゆうちゃんがやってきた。「秋研のこと書きなよー」と言ってきたので秋研のことを書こうと思う。秋研はぶたびが一つになって一つのものを作り上げる、年に二回しかない現場の一つだ。秋研の仕込み日はおなじみの人から久しぶりの人までぶたびに所属している人がいっぱい小屋に来るから、まるで総力戦のようだ。美術も照明も、その年の現場で一番かっていうくらいの物量を大勢で小屋の中に持ち込んで、慣れた手つきで仕事に取り掛かる音があちこちから聞こえてくる。しかし、その中でも楽しそうにお話をする声とか、はじめましての人同士が少したじたじしながら挨拶する声だとかも一緒に聞こえてくる。すごい勢いで作業が進んでいながらもどこか和やかな、不思議な空間だった。そして、こういったところがある意味ぶたびらしいなと思ったりもするのだ。
ぶたびは他のサークルと違って、何かを作り上げるために必要な作業そのものがメインの活動となっている節がある。「仕事人集団」と言われるのもうなずけるくらいだ。もちろん美術セットのデザインや照明の組み合わせを考えるのには芸術的なセンスを必要とされるかもしれないけれど、そういったことは現場ごとにチーフが主に単独でやっているイメージが強い。というかむしろ、美術や照明そのものを考えている時ですら、「これじゃ人が通れない」とか「これじゃ客席から役者の表情が見えない」とか実用的な話が聞こえてくるから、やっぱり芸術家というより仕事人だなと感じる。
そんなことを書いていたら、いつのまにか私の周りには誰もいなくなっていた。でも荷物だけはまだいくつか散らばっているからそこまで孤独感は感じない。みんなどうしたんだろ。帰ったのかな。様子を見に行きたいけど体が動かない。まあいいや。ちなみに今でも仕込みバラシにちょくちょく行ってるから全くもって引退した気がしないの、マジでどうにかしてほしい。
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